日本電産サンキョースケート部
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  2年後に第11回冬季オリンピックが札幌で開催されることが決まっていたことで、70年代のスケート熱が大いに高まっていました。この雰囲気のなかで、特に1970年(昭和45年)に開催された札幌五輪選考会で、井手かなめが1500mで世界記録に0秒4に迫る世界歴代3位の驚異的な記録を打ち立てたのを始めとして、三協精機の女子選手は数々の日本記録を樹立しました。
 
 
  世界のヒノキ舞台で数々の実績を挙げてきた日本スケート陣にとっても、また国民にとっても、札幌五輪は否が応でも盛り上がりました。三協精機からも、肥田隆行、平手則男、小野沢良子、井出かなめ、小池里美、斉藤幸子の6選手が選ばれ、期待を集めました。しかしスキージャンプ競技は「日の丸飛行隊」と言われ、金・銀・銅メダルを独占したのとは対照的な結果に終わりました。
   
 
札幌オリンピック開会式 (右)肥田隆行選手 平手則男選手
 
  1974年(昭和49年)には、期待の大型新人(男子の川原正行、女子の長屋真紀子、菅原真理子など)の7選手が入部し、一気に大所帯になりました。特に川原や長屋は1年目から素晴らしい大活躍をしました。
 
 
絶好調のシーズンとなった井出かなめ選手
  札幌の雪辱を期したインスブルック大会には、平手則男、川原正行、長屋真紀子、長谷川恵子、伊東千恵子の5選手のほかに、コーチとして三協の監督である石幡忠雄が参加、さらに日本選手団の団長として故山田正彦名誉会長が就任しました。結果は札幌に続き寂しい結果となりましたが、その中でも長屋真紀子は健闘し、500mで僅差の7位で入賞を逃し、1000mでも9位となりました。
日本選手団長として挨拶する山田正彦社長
 
  1974年(昭和49年)に7名の大量入部以来の戦力補強として、一気に6名が入部(清水康弘、中野明彦・武彦の双子の兄弟、船橋咲絵、浅見俊子、百井真弓)しました。男子長距離では清水が入部早々素晴らしい成績をあげ、女子では長屋が圧倒的な強さを見せました。
 
平田則男選手と
川原正行選手
  惜しくも入賞を逃した
長屋真紀子選手
 
 

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